おぢやの伝説

千谷の日暮長者

千谷が今の小千谷以上に賑わっていた頃の昔のむかしのお話です。
 周囲に立派な土塀をめぐらした広大な邸宅があり、千谷長者という大金持が住んでおりました。今の当主は二代目で、先代は都から落ちのびて来て住みつき、その時持って来た財宝で家を建てたのでという話でした。だが、当時その荷物を運んだ人夫の子孫の話によると、その財宝の中には槍や刀や鎧がずいぶんあり、それらは全部戦場で拾ったと思われるようなものばかりで、刃こぼれがあったり、泥や血がついておりました。これを最初に運んだ人夫は、越後路に入った山中で斬り殺し、新しく人夫をやとって千谷まで運んだので、財宝はどこの国から運んだのか、持主はどこの出身の人か判らないということでした。
 ただ、その時満身傷だらけになり、息もたえだえに麓まで逃げた一人の人夫の話では「荷主は戦場専門の大泥棒で、自分達は金につられてだまされて人夫にかり出され皆殺しになったのだ。この恨みは必ず三代目にたたってやる」といって死んだのだという噂がありました。
 当主に二代目長者はよく出来た人で、村人からは長者様と尊敬され、日々安楽に暮らしていました。また学問のため都にいる三代目の一人息子もよく出来た青年で、幼い頃から親に似て情深く、頭もよく、生まれながらに長者の後継者としての資質が備わっていました。
 二代目長者が急に死んでしまい、都から息子が帰り三代目をつぎました。三代目の青年長者も仕事熱心で、村人は彼の毎朝田畑を見まわりにいく姿を見て、
 「いまの若長者様は、先代より偉い人だ。」
と評判しました。
 その若長者が三晩続けて、満身傷だらけの数十人の武士や人足が、
 「お前の先祖は人非人の大泥棒だ。殺されたわれわれの霊はまだ迷って成仏できないでいる。この恨みは必ず晴らしてやる。」
 といっている夢をみました。そしてその頃から若長者の身の上に奇怪な現象が起きはじめました。まず最初に頭の毛と眉毛が抜け、次第に顔の皮膚がくずれはじめました。驚ろいて手当をしましたが、何の効果もありません。もとの男らしい顔が見るも無惨な、そして恐ろしい顔に変わりはてました。今でいうライ病です。
 毎朝の日課となっていた田畑の見まわりの時間は、いつの間にか日暮れになってから、紫色の頭巾をかむり、ちょうちんを持ち、たった一人で人目をさけて、さびしそうに出かけるようになりました。人々は毎日日暮れになって出かけるので「日暮長者」と呼ぶようになりました。
病気を治すために、遠くから偉い坊さんが呼ばれました。その坊さんは、
 「屋敷の一隅の泉の下に、黄金の釜五個を埋め、五年間山や海のうまいもを食べなさい。これを一日も欠かしてはなりません。」
と教えました。早速泉に黄金の釜五個を埋め、その日から毎日山海の珍味を食べはじめたので、あれだけの財宝も無くなって、使用人がだんだん減って来て、最後には一人となりましたが、病気は治りませんでした。権勢を誇た土塀はくずれ、あれほどの邸宅も庭園も見るかげりもなくなり、広い田畑も手入れしないので雑草が生い茂ってしまいました。日暮長者もいつの間にか姿を消してしまいました。そのあとに日記が一冊残っていました。村人たちはそれを読んでやっと真相が判り、三代前に犯した罪のタタリが孫に出たのだと、その恐ろしさに慄然としました。
やがて屋敷から火が出て、無人屋敷は全部焼けましたが、鐘だけが残りました。村人はこれを埋めて塚をつくり、かつて村のために尽くしてくれた日暮長者の栄華を偲びました。今でもこの地点を鐘塚と 呼んでいます。しかし、黄金の釜はまだ発見されていません。

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