むかしのお話です。
東山の小栗山と今は長岡市の十日町の境がきまっていなかった頃のことです。その頃は土地と土地の境を決めようがなく、いろんな方法できめていました。だから時々その禁をおかすものがあったりし、また部落同志のけんかなどは、その境をめぐってのあらそいが多かったものです。
この小栗山と十日町の場合も、なかなか決めようがなく、いろいろ話あった末に、朝早く起きて相手の村へ歩き出し、出合った場所を境にしようという話におちつきました。
さて、その当日になりました。小栗山の人はつい寝すごしてしまい、その間に十日町の人々は小栗山のお宮まで来てしまいました。十日町の人々はお宮さまから下の小栗山の部落に向かって「オーイ、オーイ」と呼びました。小栗山の人々は「しまった」と思いあわてましたが、このなかに知恵あるものがおりました。この時、二組にわかれて出発したのです。まず一組は大急ぎで村のお宮さまにかけあがりました。そしてもう一組は川の中をかくれて通って、山の方へかけ登ったのです。
お宮さまに話し合いに行った組は、
「もうとっくに村の衆は十日町の方へ行ったぜ。」
といってがんばり続けました。そして、人数の多いのをよいことに、十日町の人々を押しこくり、押しこくりして約四キロメートルもある道を押しもどしてしまいました。そしてかくれて山のほうにあがった組と合流して、そこを境にしてしまったのです。
その境は「ふじさか」といって、今でも小栗山の人々の共有林になっています。ずいぶん広い山だそうです。
むかしはこのように境を決めましたので、これと同じような話が市内にもさくさんあります。