むかしのお話です。
時水の部落を一人の若いみすぼらしい旅の僧が、家々を訪ねて一夜の宿をさがしていました。しかし、この京から来たという僧は、どこに行っても冷たく門前ばらいをされていました。やがて陽は暮れました。彼は無意識のうちに、一軒の見すぼらしい家にたどりつきました。窓からかすかな光が漏れていましたが、近づいてみますと三人の幼い女の子が薄い布団の上で、苦しがってもがいていました。枕元に老夫婦が、ただオロオロしているばかりです。旅の僧はその家に声をかけました。
「わたしは京から来た僧ですが、なんとかこの三人の子供を助けたいと思うのですが・・・。」
「ハイ、お坊様。地獄で仏とはこのことです。ぜひお助けを・・・・・・。」
僧は早速腰の薬籠から薬を出し、煎じて飲ませ、その夜は一睡もしないで三人の幼な児の看病をしました。すると翌日はあれほど苦しみもがいていた症状がようやくおちつき、三日ほどたったら、もう嘘のように癒ってきました。十日もたつと全快しましたので、旅の僧は、涙を流して感謝をする老夫婦と、三人の子供、上がお藤、次女がお松、三女がお杉を前にして、
「もう大丈夫です。私はいずれ京に帰りますから、大きくなったら京都に遊びにおいでなさい。京に来たら本願寺はどこだと聞けばすぐ判ります。」
といってまた旅に出ました。
それから十数年がたちました。お藤、お松、お杉の三人姉妹は立派に成長し、村いち番の美人となり、また村いち番の働き者になりました。またお嫁に欲しいというはなしも数多くありましたが、三人は幼い頃の命の恩人である旅の僧にあって、「お礼をいうまでは」と断り続け、その旅費をつくるために一所懸命になって働いたのでした。そして家に帰れば、旅の僧の書き残してくれた「南無阿弥陀仏」の六字を声を合わせてとなえ、命の恩人を思い浮かべながら感謝したのでした。
それなのに、ある夜ものすごい嵐の夜、時水の部落が火事にあい、哀れにもこの信念深いお藤、お松、お杉の美しい三人姉妹の家も焼け、三人とも焼死してしまいました。村の人たちはこの可愛そうな姉妹たちの後生を祈って、村の勝覚寺の境内に藤の木、多聞天部落に松の木、両新田部落に杉の木をうえたということです。藤の木だけがいまでもその季節になると見事な花を咲かせています。
一方話はかわって、ここは京都です。
本願寺本堂の再建がはじまりました。おおぜいの人夫の中にひときわめだつ色白の美人が三人おり、大変よく働いていました。だれかが、
「どこからきました。お名前は。」
と聞くと、
「はい。越後の小千谷在時水から来ました。フジとマツとスギでございます。」
と答えました。大変印象に残った本願寺では、時水に感謝状を送りましたが、地元ではそのような者が京へ行った気配はありませんでした。
そこで、部落では誰がいうともなくうわさが広まり、
「あれはきっとお寺の藤と、多聞天の松と、両新田の杉の樹の精がお参りをしたのだろう。」
「そうだ。そういえば今年は松も杉も葉が茂らず、藤の花も咲かなかったて。」
などといいあいました。